Can we smile at this bottomless blue sky?
 
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ただ風は吹き抜けてゆくだけ。その風に、花は揺れるだけ。

 
 
 
なにもかわらない。
少し、窮屈になっただけ。


(何年ぶりだろう)


この道を歩くのは。
今日はBonnyとふたりで。
ただのアスファルトだった道が、石畳(風に)なっていたけれど、そこは確かに毎日通った道で、それは私が中学生だった頃の話。








ひさしぶりに…

teacher M …】です。

かなり長文です(笑)。



JUGEMテーマ:むかしのはなし。

 
 
 
隣のクラスだったMは、入学していきなり暴力事件を起こして、そのまま学校に来なくなった。ふたつ隣の教室にいたKは、家族の問題を自分一人では抱えきれなくなって、やっぱり学校に来てなかった。私は私で放課後の陸上部に夢中だった。小学校時代からの【なかよし3人組】の中学時代は、そんな感じでスタートした。
入学して最初に仲良くなったのが、同じクラスの前の席に座っていたS(現在のマスター)で、放課後のバトミントンに夢中だった。私の隣の席にはM先生の頃から一緒だったIさんという女の子が座っていて、彼女は放課後のテニス部に夢中だった。

そんな、Iさんの話。



Iさんはとても活発な性格の女の子でした。
それに対して、思春期に突入して【女性】というものを意識し始めていた私は、小学校の頃のように無邪気でいることができない自分に苛立ってました。

「おーい、颯爽っ!!」

と無邪気に、そしてあっさりと、いとも簡単に話しかけてくるIさんに戸惑ってしまったりする日々でした。



Iさんはよく忘れ物をする女の子で、授業が始まる時、Iさんは言います、

「ごめん、いい?」

と(笑)
Iさんの机と、私の机の間に、無言で教科書を置くのが私で、教科書のページを捲るのがIさんでした(笑)
なんとなく私はいつも無言のフテっ面で、Iさんはいつもニコニコしていた。



「あっ、ごめん」

と、Iさんに言われたことがありました。それはいつもの「ごめん」とは違う【ごめん】でした。中学1年の2学期のこと。

【隣町の大きな公園まで歩いて行こう♪】

そんな学校行事があって、男女各一列になって田圃を突き抜ける一本道を歩いていた時で、その時もIさんは、私の隣を歩いていて、側道からダンプカーが私たちの列に割り込んでくるくらいに大きく曲がってきて、咄嗟に身を避けたIさんは、私にぶつかるようによろけて、私の右手とIさんの左手が握りあった時でした。

「あっ、ごめん」

そんな言葉が、その時の状況に対してなんとも奇妙だったのは、今思えば、それはお互いに思春期だったからなのでしょう。いきなり手を握られたということに対する「ごめん」。それは別に謝ることではないのでしょう。でも、不快に思うことでもなかった。その対処の方法がわからなかったのです。だって13年しか生きていなかったから。
その時私は確かにドキドキしていました。Iさんは、その時ドキドキしたのだろうか(笑)。
けれどその時の私は、びっくりして振りほどいてしまいました。Iさんの手を。

「だから、ごめんって、言ったじゃん」

と言うIさんに対し、

「だから、いんじゃない」

って。
私ってホントに、醒めた中学生だよね(苦笑)
でも、その時に初めて【意識】しました。
今だから思えるそんな【いろんなこと】って、とっても綺麗に見えてしまったりしますね。
うん、
ちゃんとした、
ちゃんと落ちた、
【恋】というものが、初めてだったのでしょう。その時が。
そんのなのを人は【初恋】とか言うのでしょう(笑)


そして、
中学1年生の冬の終わり。
3学期の期末テストの初日。だった頃。

テスト期間中は部活はお休み。
だから【朝練】もお休み。
それでも私は、いつもと同じ時間に学校に行く。
だれもいない筈の教室の扉を開けると、Iさんが勉強しているのです。「おはよう」って。

「直前にならないと憶えられないの」

とか言ってた。それは私も同じでした。
そんなのが、2学期の中間テストの頃から。

その日の朝は、晴れていた筈なのに急に曇り始めて、教室内もなんとなく薄暗くなってきて、


「ねえ、電気つけてよ」

「Iさんの方が(スイッチに)近いじゃん」

「いいからつけてよ」


そんな会話の応酬が何故だかドキドキして、何故だか楽しかったのです。教室内に灯りが燈って、再びの、無言。Iさんと私の会話なんて、そんな程度。

静かな教室。

いつもだったら聞こえるはずのない電車の走り抜ける音を聞いたのは、Iさんと私だけなのでしょう。きっと。
居心地が悪い訳ではないのだろう。だからやっぱりIさんも、私がやってくるとわかってても、こんな時間に教室にいるのでしょう。私も私でIさんがいるのだろうとわかってて教室の扉を開けるのだから。

期末テスト2日目の朝。
Iさんの「おはよう」が聞こえなかった。
Iさんはただ座っていた。無言で席に着く私も私ですが(笑)、Iさんはずっと俯いていたから、声をかけるべきか20分くらい悩んだのち、訊いたのです。

「どうかした?」

と。
小学5年の時、M先生の授業を一緒に受けたIさん。
だから、教室の扉を開けるであろう私を、待っていたのでしょう。
だから、私が話しかけてくるのを待っていたのでしょう。
このクラスで、M先生の授業を受けたのはIさんと私だけ。だから、私がいなかったら、きっと誰もいない教室でIさんは一人で泣いていたのかもしれません。
なんて、【いま思えば…】の、話ですが。

「M先生が自殺したんだって」

と、ぽつりと。



葬儀はしゅくしゅくと。
いろんな顔がたくさん。
やっぱり、MとKは来なかった。
M先生の旦那さんを初めて目撃した。
M先生が腹を痛めて産み落とした女の子はすやすやと眠っていた。
遺影は私たちが小学6年だった頃の修学旅行で、箱根の山の思い出の中から切り取られた笑顔だった。

こんな時、どんな風にすればいいんだろう。

そう考えてたら、泣けないまま終わってしまった。
女子はみんな泣いていた。Iさんも泣いていた。こんな時、素直に泣けない自分を恥ずかしく思った。
もう、期末テストの出来具合なんて、どうでもよかった。【大切】だと思えることの【大切さ】の方が、ぜんぜん重要だった。それは期末テストよりもぜんぜん重要で、それはM先生の葬儀に参加することだけではなくて、M先生がいなくなってしまったということを受け入れなきゃいけない。ということ。
そんなのが、すごく、大変だった。人を想って悲しくなった時に、どうすればいいのか。が、どうしてもわからなかった。
M先生が、

いなくなっちゃった

と、いうことに、酷く戸惑ってた。



(あのサッカーボールは?)

そんな男子たちの疑問の【答え】は、M先生の旦那さんが教えてくれました。
だからM先生と一緒に、焼いてもらいました。










気がつけば、春休みに突入していた。
そして中学2年生。
クラス替えしてみても、S(現在のマスター)と一緒のクラスだった。
Iさんは同じクラスじゃなかった。ぜんぜん学校に来ないMもKも進級したけれど、一緒のクラスじゃなかった。
確かに寂しかった。
けど、中学2年生になってみると、私はそれどころじゃなかった。

怪我。
手術。
退部。

そして、

家出。

終わらない夜。

そして、

補導。

思いっきり、絶望。

丸刈り。

卒業式不参加。

それでも、
進学できました。
高校に。


M先生がいなくなって、
【なんとなく】でしかない自分と、
キラキラと眩しすぎる世の中と、
【中学校】というものを、知ることもなく終わったMもKも、
なんだか全部がすごく遠くって。
何もかもがすごく遠くって。

嗚呼、私は、

(高校に行くのか…)

そんな程度の絶望で。



たとえばそれがそれでしかないのだとしても、その後も、たとえば廊下ですれ違った時に、

「よっ!!」

と話しかけてくるのがIさんで、
相変わらずいつものように無言だったりするのが私だったりしました。
でも本当は嬉しかったのです。【私なんか】に、声をかけてくれるIさんが。
それと同じくらいに苦しかったのです。【私なんか】に、声をかけてくれるIさんが。

そんな感じで卒業を迎えました。











実はその後、
私が高校生になった頃、Iさんに告られました。
それは突然の電話で、受話器の向こうのIさんは名前も名乗らずで、いきなり。

確信のある、聞き覚えのある、間違いなくIさんである筈の、その声に向けて。
その声の主が、

Iさんだ♪

と、わかっていながら、

「お前、誰?」

って。

プー、
プー、
プー。


私の初恋は終わりました。
その時に。



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