Can we smile at this bottomless blue sky?
 
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恋と同じで、憎悪も人を信じやすくさせる。
JUGEMテーマ:むかしのはなし。

 
 
 
今日も休日。
伸びきった丸刈り頭をカットしてもらったら、水泳の北○選手みたいになってました(笑)
そろそろ、

(仕事しなきゃなあ)

って。



ひさしぶりに、

tacher M …】。



相変わらずの長文ですが…



  
 
 
小学5年生から6年生へ。
教室も本校舎から、渡り廊下の向こうの新校舎へ。
もちろんクラス替えはなかった。
だから嬉しかった。私はこのクラスが大好きだった。M先生のもとで1年間を過ごすことができたのが、とっても楽しかったから。当然のように6年生になっても担任はM先生だと思っていました。クラスのみんなもそう思っていました。なんの根拠もないのに、それが当然だと。そのくらいにこのクラスには【一体感】がありました。きっとM先生もそうなることを望んでいる筈だと、思っていました。でも違った。
M先生は1年生のクラスの担任になっていました。私たちのクラスには別の学校からやってきた女の先生でした。その第一印象は、

「オバサンだよ」

でした(笑)
ガッカリムードが教室中を覆い尽くしていた。そんな6年生のはじまりでした。



時間割や教科書を全く無視した独創的な教え方だったM先生の授業に慣れてしまっていた私たちは、初めのころは戸惑っていました。全てが予定通りに淡々と進んでゆく授業に、物足りなさよりもつまらなさを感じ、M先生にはなかった【上から目線】に私たちは戸惑って、委縮した。
新しい先生は、

「この問題、わかった人?」

と生徒に、必ず手を挙げさせます。そして手を挙げる生徒の数が多ければ、教科書の次のページを捲るのです。

「この問題、わからなかった人?」

M先生だったら、そう言うのにな。って。





M先生が結婚したのは、そんな頃でした。





2学期。
修学旅行は箱根だった。
なぜか私たちのクラスのバスで、M先生がニコニコ笑っていました。
なぜだかわからないけど、ニコニコ笑っていました。
オレンジ色のウインドブレーカーを着て。

その2日目。
場所は某、彫刻の森。
各班で自由見学。
なぜか私の班は、朝から重苦しい空気の中にいました。
前日の夜に班長のYと、(今も続く腐れ縁の)Kが喧嘩して、どっちも引くことなく迎えた朝だったりしたのです。(原因は何だったのかは、もう憶えてないけれど)そんな感じで、自由行動は始まってしまって、何故かM先生は私たちの班にくっついていたりした。
M先生はなにも言いませんでした。ただ私たちの傍でニコニコしているだけ。

「次はどこへ行こうか…」

と、案内地図を見ながら悩んでいる班長Yの横で、ニコニコしていました(笑)



「じゃあ次はこっち」

と班長Y。

「こっちに行きたい」

とK。

また揉めそうな、そんな予感……

でも、突然に、

班長Yは言いました。

「昨日は、ごめんね」

と。
Kも赦すしかなくって、やっぱりM先生はニコニコ笑っていた。
固まった空気が溶けて、ほっこりとした空気が漂って、M先生はやっぱりニコニコ笑っていた。
某、彫刻の森は前日まで雨が降っていたから、霧に覆われて真っ白だった。
そんな、思い出。





そして3学期。
しかも、卒業式の数日前だったりした。

5年生の1学期に、男子みんなでお金をだし合って買ったサッカーボールは、もうオリジナルの頃の色がわからないくらいに剝げ上がっていた。球技大会の決勝戦でも活躍したそのサッカーボールは、休み時間が始まるたびに校庭へと駆け出すのです。私たちと一緒に。そんなサッカーボールを追いかけることに夢中だったりした。
そんな2年間を一緒に過ごしてきたサッカーボールの【卒業後】の行方を、誰もが決めかねていたりました。

それは卒業式の数日前で、浮足立つ心と、不安な気持ちとが、いろんなことがごっちゃ混ぜ。
買いそろえた制服と、あまりにも程遠い【大人びた】風景。離れてゆく人たちと、残った人たち。4月からのその先の、「その先」って???
いくらかんがえてもわからないから、
それでも私たちはサッカーボールを追いかけていた。そう在り続けることで、少しでも【この時間】が延びてくれれば、みたいな(笑)。
担任の先生は変わってしまったけれど、私たちの【一体感】は、新しい先生への【反発力】として、更に強くなっていたりしました。現実逃避と言われてしまえば、それで終わってしまうんだけど。



「来年からM先生は、違う学校に行くんだって」



そんな情報が、女子たちから。
そして男子たちは色めきたった訳で。

「どうしよう」

から始まって、
伝えたいことと、残したいこと、M先生と私たちにとっての大切なこと。
そんなのを一生懸命考えて、思いついたのは、ボロボロに剝げ上がったサッカーボールだったりしたのです。


「これをプレゼントしなくちゃ」


と。

既に放課後。

みんなで学校中を走り回って、そして帰宅してしまった生徒の自宅のピンポンを押しまくって、そうやって禿げ上がったサッカーボールにマジックペンの跡がたくさん残ってゆきました。

こんな感情を「すき」というのだとしたら、【すき】という言葉以外に、どんな風にたとえることができるのだろうか?
たとえば、そんな私たちだったら……




M先生は理科準備室にいました。
夕暮れ時の、スイッチを入れてもいいくらいにに真っ暗な理科準備室で。

「これを、M先生に…」

そう言ってサッカーボールを渡したのは、誰だっけ……思い出せないけど。





それから1年後、そのサッカーボールはM先生と一緒に焼かれてゆきました。





途方もない【どうしようもなさ】。

残ったものって、そんなのばっかりで、
実際は、そんなのしか残ってなかった。
そんな意味がわからないまま、ただ悲しく思って、受け止めるしかなかった。そんな自分が悔しかった。そんなことを理解するには、納得するには、受け入れるには、13歳の私には、難しすぎたのかもしれません。だって私は、M先生の【死】を、どうしても受け入れられなかったから。

(いやだ、いやだ!!!!)

と泣き叫んでも、何も変わらない。
そんなことになんとなく気付き始めていたのかもしれないけれど。






それでもM先生は、いつもと変わらないニコニコの(泣き笑いの)笑顔で、言いました。


「ありがとね」


って。
私たちのサッカーボールを、ギュッ。っと。






その笑顔だって、私は今日も忘れないでいるのです。



teacher M … comments(0) -
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